商店街にさしかかると、いつになく活気に満ちていた。
『逍遥堂』は懐中時計をポケットから取り出した。時計の針は12時過ぎをさしている。納得して、先を急いだ。
『逍遥堂』は屋号である。商店街の手前で洋古書店を営んでいる。父親の代は大東亜戦争時で、洋古書の取り扱いも苦労したらしい。現在は大学の先生や大学生などが時折『逍遥堂』を訪れる。
店主は古本屋の主らしくなく、いつでも優雅にスーツを着、それに合った帽子を被っている。その黒縁眼鏡も店主を引き立てるのに一役買っている。
そんないでたちであるのに、『逍遥堂』は表に出る際、いつも決まって趣味の悪い色の風呂敷包みを持っていく。一度バイトの女の子がその風呂敷について尋ねたことがあるが、『逍遥堂』は微笑むだけでなにも答えなかった。
さて、『逍遥堂』は商店街を抜け、坂を上り、ある建物の前で足を止めた。建物の上部にはへんてこな文字で『きまぐれ堂』と書かれている。
建てつけの悪い曇り硝子の戸を開ける。
「御免下さい」
目の前に勘定台が見える。その後ろに、着物姿の店主が相かわらずの仏頂面で腰掛けていた。その膝で縞々の小さな塊が息づいている。『逍遥堂』の顔がほころんだ。
「子猫を拾ったそうだな」
店主の眉が微かに動く。
「ああ、おかげでこの通りだ」
そう呟いてその縞々を撫でる手には包帯が巻かれていた。
大方警戒した子猫にひっかかれでもしたのだろう。
『逍遥堂』は商店街の手前で摘んだ猫じゃらしを、そおっと縞々の頭の部分に近付けた。
途端縞々が意志を持って猫じゃらしに掴みかかる。
店主は呆れたようだった。
「あとで片付けはしろよ」
縞々は子猫であった。縞猫というのだろうか。和猫である。縞猫は逃げる猫じゃらしを追いかけ、勘定台の上に上がった。どうにかして掴もうと、噛み付いたりする姿が愛らしい。
猫じゃらしの穂がぽろぽろ落ちる。
店主は子猫をしばらく見ていたが、棚の本を取り出した。
子猫はひどく興奮して猫じゃらしにさかんに飛びつく。しまいには『逍遥堂』の手に噛み付いた。
「いっ……!!!!」
子猫の牙は容赦がない。『逍遥堂』はたまらず猫じゃらしを取り落とした。それでも子猫を振り落とそうとしないのはさすがである。見かねて店主が手を出した。
「おお痛い」
微かに穴の開いた手を見て『逍遥堂』は苦笑する。
「もっと茎の長いものにするべきだったな」
子猫はしばらく興奮していたが、やがて店主の膝に戻った。店主が優しく子猫の背を撫でると、丸くなって目を閉じる。
「そういえば近々旅に出るようなことを言っていなかったか?」
『逍遥堂』が気がついたようにいう。
店主の仏頂面がどうしてか穏やかに見えた。
「延期だ」
膝の子猫は幸せそうに眠っている。
本棚だらけの埃っぽい店内で、そこだけが別世界だった。
『逍遥堂』も友人がいなくなると不便だから、なんとなくほっとした。
ある秋の日のことである。